22年度錦華小学昭和26年卒クラス会その2
クラス会のことを「こちら神保町」に先日書き込みましたところ、仲間より返信のメールをいただきましたので、転記させていただきます。終戦当時の子供たちの有様が伝われば幸いです。
★「こちら神保町」楽しく当時を思い出しながら読みました。皆、それぞれ焼け跡で楽しんでいましたね。母校(錦華小)のプールと明大との道の間あたりから現在の浜田病院辺り迄他人の庭に侵入、庭と言うよりジャングルで(院長さんの自宅と後でしりました)昼なお暗い場所でした。枇杷など食べるものが有り、一日夕方までターザンごっこをして遊んだことをおもいだしました。(M.K氏)
★ブログ「こちら神保町」の9月27日分拝読しました。僕は野球小僧の部類。道路の真ん中で布グローブをはめてキャッチボールをしていました。貧乏当たり前、我慢当たり前、譲り合い当たり前。「あの時代」のことになりましたね。これから時々「こちら神保町」を開くことにします (K.M氏)
当時は野球が盛んで、昼休みはごろベースの場所とりで急いで校庭にかけていったものです。私も野球少年で、母に手製のユニホームを縫ってもらい野球の練習をしておりました。
一学年上に、巨人ジャイアンツや国鉄スワローズで活躍した「東陽堂書店」の高林恒夫氏(昨年逝去)がおりました。
当時は食糧難で、ジャガイモ・とうもろこしなどの代用食や、学校給食の不味い脱脂粉乳の話しは次の機会に書き込ませていただきます。(三・一小林)