神田猿楽町 町会内のお店紹介 第2回目―蕎麦(そば)屋「冨多葉」さん
「こちら神保町」をご覧の皆さん、こんにちは。
猿楽町町会内のお店紹介―その第2回目は、蕎麦屋「冨多葉」さんです。
“そば”は、”寿司”と並んで江戸時代から一般庶民の食文化の中心的存在で、神田の代名詞の一つでもあります。今回は地元情報として、一般のグルメ・ガイドとは少し異なった視点からご紹介できれば、と思います。
それでは紹介の始まりです。
1-1.お店の歴史および開業の経緯(ご主人からのコメント)
明治末期から大正初期にかけて現在地に「加賀屋」と云う蕎麦屋がありました。この店は、町内の今は亡き長老の故・鈴木政之助氏が良く御存じで、語り草として話題に出て来て居りました。当店の先代の店主(昭和36年没)は、日本橋本町の「小倉庵」で修業し大正5年に前述の「加賀屋」を買取り、「冨多葉」として大正6年5月に開店しました。
1-2.店主のプロフィール紹介
「昭和36年に先代の店主が没後、相続して営業を受け継いだ。」とのこと。
ご主人の冨山和夫さんは、町会の少年部、防犯部、副会長等を2009年まで長きにわたり務められ、現在は監事役および番地理事の責務を果たされています。
若主人の敏行さんも、町会青少年部副部長として活躍されており、このたびは神保町地区地域活性化委員会のメンバーに選出されました。
2.ご家族および店内紹介
店頭でのご家族スナップ写真(右端から、ご主人・冨山和夫さん、女将・美知子さん、若女将・裕子(ヒロコ)さん、若主人・敏行(トシユキ)さん)
“猿楽町町会内のペット紹介”に掲載したシーズー犬「ケビン君」の飼い主でもあります。
所在地の説明:
白山通りの交差点(日大経済学部5号館と一不二さんビル(1階がセブン・イレブン)間の一方通行を入り、錦華通りとの交差点右側。猿楽町町会詰所の向かい側にあります。
まずは、外観の写真です。
続いて同じアングルから撮影した昔の写真です。(写真右上の注記:創業(大正6年5月)― 当時の店舗は大正12年9月1日の関東大震災により焼失しました。この写真は、その後昭和8年7月再度新築開店当日の写真です。なお、この店舗も昭和20年5月の帝都空襲により焼失しました。)大地震・戦争と様々な試練に耐えて頑張ってこられました。
玄関では信楽焼のタヌキのお出迎えを受けて、店内に入ります。
(ちなみにタヌキは「他を抜く」につながることから、商売繁盛を願って店の軒先に置かれるようになったそうです。)
店内の様子です。
下町にある飲食店の典型と言っても過言ではない、とてもアット・ホーム(家庭的)な雰囲気のインテリア。奥の小上がり(座敷)で、下町情緒あふれる千社札や提灯・福助・招き猫等に囲まれて食事を頂くこともできます。一見の価値あり!!
3.お店のこだわりとメニュー紹介
「蕎麦の作り方や汁のとり方は、昔のレシピ通り守っています。」とのこと。代々受け継がれた伝統の味を体験できます。
写真は、寒い季節の人気メニュー:カレー南蛮そば(うどんも有り)
壁に掲げられた”おしながき“を拝見すると、”もり・かけ400円、たぬき・きつね450円、おかめ530円”と言った極めてリーズナブルなものから、”天丼(上)1300円”まで多彩なレパートリーとなっています。 (ビール・日本酒等の取扱はありません、悪しからず。)
4.御防講(おふせぎこう)についての説明
店内を見渡すと、”おしながき”の傍らに神田明神境内にて撮影された、袢纏を粋に着こなした旦那衆の写真と「御防講」の札を発見!!
よ~く見ると「冨多葉」のご主人もメンバーとして中央に写っています。
さて、ここで問題です。この方々は一体全体、何のグループなんでしょうか?
正解:御防講(オフセギコウ)という講(民俗宗教における宗教行事を行う結社)のメンバーです。この団体について、ご主人に執筆をお願いしましたのでご紹介します。
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御防講:猿楽町の氏神様である神田明神(正式名:神田神社)は、社伝によると天平2年(西暦730年)に出雲氏族で大己貴命(オオナムチノミコト)の後裔である真神田臣(マカンダオミ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町、将門塚周辺)に創設された。その後900年の時が移り、江戸幕府が開かれると神田神社は幕府の深く尊崇するところとなり、元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門にあたる現在の地に遷座し、幕府により壮麗な社殿が造営された。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として徳川将軍をはじめ江戸の庶民たちから篤く崇敬されました。
神田神社の各祭事では、必ず「宮鍵」や「御防」と書かれた袢纏を身にまとった人々を見かけると思います。これは「宮鍵講」(ミヤカギコウ)、「御防講」(オフセギコウ)の講員です。江戸の昔より、神田明神と非常に縁故が深い崇敬講社です。両講とも、神田の職人の親方と、日本橋の商人の旦那衆を中心に構成され、明治・大正の頃に隆盛を極めたと言われています。御防講の歴史は、古く天明3年(1783年)の創立にして神社の警護団体で、火災その他災厄の時は神紋(巴紋)のついた纏(マトイ)と神紋入りの高張り提灯を振りかざし神田明神に被害が及ばないよう警護しました。また、御防講は江戸火消の先駆け的存在でありました。
講員の中には、二代目または四代目に及び御奉仕に従事している方もあり、崇敬心を持って御奉仕に務めて居ります。御奉仕の内容については、大晦日からの初詣客の境内警護、2月3日の節分祭への参加、5月の神田祭の神幸祭行列の警護、11月の七五三祝の境内整理、そして年二回開催される春と秋の大祭に参列する等々、年間を通して何らかの形で神社のお手伝いをして居ります。
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ご主人には、ご多忙にも関わらずご教示頂きありがとうございました。
皆さんも、神田明神ならびに神田祭への理解が少し深まったのではないか、と思います。
もっと詳しく知りたいブログ読者の方々は、どうぞ店内で蕎麦をすすりながら講義を受けてください。(忙しくない頃合いを見計らってお願いいたします。)
(お店の詳細)
店名:蕎麦屋「冨多葉」
住所:千代田区猿楽町2-2-9
電話:03-3291-4887
営業日・時間:平日の午前11時~午後7時まで(土・日・祝日は休業)
それでは、また次回を御期待ください。
(猿楽町HP担当ー青野)