戦時中の消防団

 昭和18年頃になると若者たちは戦地にとられ、銃後の守りは男子の年配者と女性となってしまいます。 
 空襲になると手漕ぎのポンプ車で消火活動に出動します。爆撃機は爆弾ではなく焼夷弾を大量に落としていきます。
  ポンプ車と女性とお年寄りのバケツリレーで消火に努めます。その努力のかいまなく灰燼に帰し、神田の街は、焼け野原になりました。20年3月には猿楽町にあった我が家も、神田女学園あたりから延焼し、跡形もなくなくなりました。(小林)
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                  昭和14年、神田女学校の前で