こちら神保町「銭湯特集・その2 キカイ湯 第3回」
みなさん、こんにちは。
神田猿楽町町会「キカイ湯」のご紹介・第3回です。
今回は、先代おかみさんのコメント(番台から見た世相あれこれ)をご紹介します。
(出典:東 尭 著 「米寿、志してやり抜いた話」青娥書房より、同書籍に記載のうち、雑誌「婦人公論」昭和47年6月号に掲載されたインタビュー記事「銭湯から駐車場へ。東政子(本名・梅子)」の部分を引用)
(写真は昭和46年4月 番台上の東梅子さん)
「古き良き時代の思い出って、たくさんありますね。
寿々木米若さん、浪曲の。この近所にいらして、毎朝、朝早く来られて。その頃は、午前11時に開けましたから。で、それから高座に上がる。夜は、きっと仕事の帰りなんでしょう、ハオリ、ハカマで見える。イエ、湯船では、「佐渡情話」はやらないでしょ。ソンしちゃう。漫談の牧野周一さんも、近所に住んでいらして、よく見えました。 戦前は、この近所に大相撲の巡業が来まして、男女(ミナ)の(ノ)川(カワ)、ご存知ですか。あの方が湯船に入ると、ザーッとお湯が流れて、ガックリ減っちゃう。桶じゃまどろっこしいって、バケツでね、お湯をかぶるんです。 思い出すと、話題は尽きません。
番台に坐っていると、お客さんの様子も、ずいぶん変わってきましたね。
女のお客さん。とにかく昔に比べて、脱ぐのが速い。昔は、着物、モンペでしたから、帯がたくさんあって、時間がかかったものですけど、いま、ホックですからね。上も下もパッパッと脱いじゃう。それに、からだ、キレイになりました。スラリとしている。八頭身ですね。まず、脚が長くなったことでしょうね。そのかわり、羞恥心はなくなりましたね。
昔は、風呂屋は、町の清掃に一役買ってたんですよ。23メートルの煙突でしょ。この近所の雑木、おがクズは全部集めて燃やしていた。荷車をひいて、集めていたんです。いまは、どこでも重油ですね。とくに都心では、浴場業は、これから難しくなるんじゃないでしょうか。成り立たなくなる。人手不足ですしね。この近くにも転業を考える銭湯があります。おろ抜き(間引き=合理化)が必要なんでしょうかね。 ま、土地がありますから、あとは駐車場でもなんでもできますけど、なくしてしまうわけにもゆきませんし、その点、保護というか、適切な施策が必要だと思いますよ。
お風呂屋は、重労働ですからね。3時に始まるけれど、その前の支度。11時30分に終わるけど、その後の始末。寝るのも、1時過ぎ。買い物に出かけても、3時には番台に坐らなければならないと思うと、気が気でない。そういう時間に追われることがなくなって、普通の生活に戻りましたけれど、女はね、やはりいろいろ、次から次へ仕事があるものですよ。
転業して、いま、駐車場と貸事務所を経営しています。状態ですか? エエ、あらかじめ計算して始めましたので、順調ですよ。
風呂だけは、いいものを作りました。正式というか、浴室を広くとりまして、脱衣所も別に用意して。・・・・・・」
キカイ湯跡地に建つ、現在の駐車場と貸ビルの様子です。
次回は、「キカイ湯」の最終回をお届します。
それでは、また。
神田猿楽町町会HP担当 – 青野