こちら神保町 「銭湯特集・その2 キカイ湯 第4回」
みなさんこんにちは。
9月に入っても残暑の好天が続き、取水制限を行う程の水不足となりました。 熱帯低気圧や台風は自然災害をもたらす一方で、自然の恩恵にあずかる機会でもあると、改めて考えさせられる今日この頃です。
さて、神田猿楽町町会の銭湯特集、「キカイ湯編」も最終回となりました。 今回は、廃業に至った経緯についてご説明します。
(出典:東 尭 著 「米寿、志してやり抜いた話」青娥書房より)
「昭和も45年になると、わが町猿楽町の様子に変化が目立ってきた。浴場経営の立場から言うと;
(1)町の人口、つまり浴客が大きく減った。
(2)近隣に家庭風呂を持つ家が増えてきた。
(3)キカイ湯に限ることだが、施設がさらには建物が古くなって、痛みが目立ってきた。浴場建物の改築には大きな資金を要し、そういう投資をしても浴客が大幅に増え、収入が大きくなるという見込みは立たない。経営変化の決断を下さなければならなくなった。そして、翌年(昭和46年)春にそれを断行した。」
つまり、町の成り立ち(印刷・製本工場等、主として出版関係の中小企業の区外への移転や地域の再開発等)の変化や家庭風呂の普及等により、需要が大きく減少してしまった事が大きな要因であると考えられます。
お亡くなりになられた経営者・東 尭さん(京都帝国大学理学部物理学科卒業、工学博士、東京芝浦電気(現 ㈱東芝) 中央研究所応用物理研究部長、照明事業部照明研究所長、東芝科学館長等を歴任。 神田猿楽町町会においては、長年にわたり監査役として貢献。)の上記著書から、利用者の皆さんのコメントをご紹介します。
(昭和46年4月16日付 毎日新聞夕刊 “江戸っ子銭湯「ヤメタ」”に掲載されました。)
65年間通い続けた近くの神保すずさん(89)。「困ってしまうんですよ。あたしゃね、近ごろ足が悪くなってきたし、こんど違うフロへいくには、いまより2丁も遠いんです。」
男性ファン、湯の中対談。
「あたしゃ、明治42年から。62年以上、この湯にきた勘定になりますよ」洋服屋・岩下文治郎さん(72)。
「あたしが丁稚にきたのもそのころだから・・・、長いフロ友だちですナ」製本屋・高柳戊雄さん(71)。
「写真? 頭に手ぬぐいのっけんですか。承知しました。」
「神田もすっかり変わりましたヨ。仕方ないですヨ。ウチのフロにはいります」
「あたしも・・・・・。じゃお先に」。
その当時の浴場内の写真です(再掲載)
現在、跡地に建てられた東雄ビル1階に「キカイ湯」の説明が掲示されています。
ちなみに、千代田区では高齢者(65歳以上の利用希望者)を対象として、近隣の人との交流や健康増進を支援するため、公衆浴場の無料利用券を交付しているそうです。
内容:区と契約した区内外の公衆浴場を、年間最大44回利用可能。 対象者は、高齢者ご本人。
問い合わせ先:高齢介護課在宅支援係
昨年の東日本大震災では、被災者の方々に対して仮設風呂が自衛隊より提供された地域もありました。
今後、東京において直下型大地震が発生した場合、公衆衛生の観点から風呂・シャワー等の要請にどう対応するのか、と言った問題について考えなくてはならないと思われます。
それでは、また。
神田猿楽町町会HP担当ー青野